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音楽博物館@大阪音大 [賛美]

ちょっと講座を聞きに 音楽博物館まで行きました。
もう一つの用事もありました。

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こちらは 私がフルートを習った 藤田隆 先生が
館長をなさっています。 

友人から 以前に古いフルートをもらいました。
そのフルートは 持ち主が亡くなり 行き場がないフルートでした。
そして チェロ弾きの友人のところに来て 
次に 私のところに来たわけです。

神さまは 何をされようとしたのでしょう??


音はとても わたし好みでしたのに 
キーの構造が いつも使っているものとは違い
当然 指使いも違うので
どうしても 吹くことができません。
古さと 構造を考えると とても珍しいものではないかと思いました。

それで そのフルートを 友人と相談して
その価値があれば 博物館に 寄贈させてもらおうということになりました。
その日 講座が終わり 藤田先生に フルートを見ていただき
博物館にめでたく納まることになりました。


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こんなケースにいれてくださるのかしら??

この日は ゆらぎ の研究の方のお話でした。
私は以前から 仮説を立てていたのですが 
その方のお話を聞いて  結論は違うのですが
仮説が正しいのではないかと 思った次第です。
このことは また別の機会に。。。。


久しぶりに 頭が ♪音楽モードになった一日でした。

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歌声は神様のプレゼント [賛美]

コーラスblog.JPG昨日 私が参加している高校同窓会系のメーリングリストの総会に 
母校のコーラス部OBが
校歌を歌いに来てくれました。

メンバーの方は 卒業して 20年以上たっているのに
ちょちょっと練習して こんなに合っていいのかしら
という位のハイレベルの演奏でした。

最近はコーラス部は 部員が2人になり
存続が危ぶまれていますが
鉄道研究会が復活したり ヨットが活躍したりで 
時代とともに
クラブの変遷があります。

歌は 楽器も何もなくても ぱっと演奏できる
歌声は 神様のプレゼントですね~。
賛美の曲を捧げられて うれしい 神様の気持ちが 
ちょっぴりわかるような
ひと時でした。

教会が建つ [賛美]

教会の 会堂が建った!

空と 地をつなぐ という感じの建物。

工事が進んで見に行くと 斜めに壁が傾いたデザインだったので 

阪神大震災を経験している私には 怖い!ッテ思った。

でも 竣工式に行く途中

祈っていたら 主が「私が斜めにした なぜそうしたかは そのうちわかる」といわれた気が。

そうか  主のデザインなのだと 単純に 納得。

16年前に はっきりあらわされた 新しい教会のかたち ビジョンが

明らかになってきた。  何が始まるのだろう??

バロック音楽の 息 [賛美]

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昨夜  バロックを勉強中のバイオリニストのお嬢さんのコンサートがあった。
私は バロック曲について 仮説を自分で(何か勉強したわけではなく)こうじゃないかと
私なりに思うことがあった。 
以前は 音楽史上 ロマン派に進化する途中の楽曲くらいにしか思っていなかったのだけれど
そうではなく 人の霊の歌に限りなく近い 
プリミティブに 肉がはいっていない分野の曲ではないかと思い始めていた。
それで フルートで バッハを新しく やり直してみようと思いつつ 
出来ずに。。。この夏をすごしてしまった。

風 止まるところのない風 しかも流れに揺らぎがあって
縦のリではない 無限マーク(8を横にした)の「のり」
それは 神の息に限りなく近い。賛美の風。

昨夜のコンサートでは その笛を聴くことが出来た。
自分なりの仮説(?)が ああ そうだったんだ、と納得した初めてのコンサートだった。

バイオリニストのお嬢さんとも 先ほどその話をしたら 全く
同じことを考えておられて 私は鳥肌。

私は バッハのフルート曲を聴いて クリスチャンになった。
それは そうなんだと 理由が本当にわかった。だって 神の息 聖霊なのだから。

起き上がって 私なりに バッハやってみよう!と思ったのでした。

ファミリアのセール [賛美]

今日は ファミリアのセール。 
神戸の国際展示場に 朝から出かけた。
長男が生まれた時 チョコチョコ 何回か行ったので 実に
30年ぶりのセール。 

まさか孫のために 再登場するとは そのときは全く
思いもしなかったこと。 男の子と 女の子 4ヶ月違いで生まれ
買い物も 大変 です。 

大いに喜び うれしい買い物です!

それぞれが大きくなって 個性が出てくると
ファミリア でもない?と思うけれど ベビーの時は
いいかなと思う。 

私は男の子しかいないイので ピンクの子供服など 
買うのに慣れなくて・・・・
でも ワンピース ひらひら見ていたら 沢山欲しいものが・・・
まだ一ヶ月なのに 一歳用を買ってしまいました!





すべての音楽は神からの [賛美]

昨夜の感動した 音楽会の続き・・・・
友人のご主人  指揮者の顔がなんと ボーリズそっくりと気がついた。えっと驚いた。もともと 倒れる前は モット太っていたせいもあるけれど 今はすっかり痩せて 別の人になられている。 神様が 変えてしまわれたのだろう。 一度も 体のことで愚痴ったりもされず 自身 癒やしを信じているので 信じられないくらいの 平安の中にいる。これを奇跡といわずしてなんと言おう。 プログラムに書かれた彼の言葉を 転記しておこうと思う。

「右半身麻痺と 言語障害が後遺症として今は残っていますが
神様は 私の「音楽の脳」を残してくださいました。先生方 学校関係者 そして愛する子供たちのおかげで こうして皆さんとともに演奏会に関われる日が与えられました。本当に 本当に心より感謝いたします。『愛はすべてを完全に結ぶ帯である」コロサイ3-14)『音楽はすべてを完全に結ぶ愛である」
本日の みんなの音楽の『響き』によってこの会場から地球の傷んだところへ、 戦争で悲しむ人たちのところへ、病で苦しむ人のところへ」愛」が 届きますように
と 祈りながら 指揮をさせていただきます。



本当は 音楽って [賛美]

今夜 京都の学生のコンサートに行った。 その指揮を 友人のご主人がされる。
ochanoko gazou 1002.jpg去年の今日 彼は大学のオーケストラの練習中に倒れ
脳内出血で 半身不随になった。それからのリハビリの日々・・・・ そして 残された左手を使って 指揮を再び。
祈りつつ行った。 無事に そして 聞いている人に 主の愛が流れていくように。彼の 新しい時を用意してくださいと。
本番が始まり 車椅子で現れた彼は 左手で指揮を始めた。手を 動かせる範囲は限られている。
座っているから 手を振り上げても 高くないし そんなに動きは無い。言語障害もある。
しかしながら 倒れてすぐの様子を思うと 全く話せず 寝たきりだった日もあったのだから これは凄いことです。
そして ほんとうに 何ということでしょう。 学生が演奏しだしたとたん 
空気が変わります。 ほんの少ししか動かせない手を ほんとに少し動かすだけで それを彼らは受け止めている。
そして 出来てくる音楽の 流れが 普通ではない! 天国の音楽。すべての音楽は 主からのものという言葉が浮かんでくる。取られて そこに 新たに下さった 神の賜物。
どうか 彼が新たに 音楽の世界で 用いられ 音楽の真髄を 人々感じられる様に 主よすべてを 導きたまえ。

キリストを探すひと [賛美]

ochanoko gazou 017.jpg今日 近くのキリスト教書店に 父の聖書CDの 注文に行った。 私は 買い物のついでで 沢山冷凍食品をまとめて買ったので 急いでいた。 オーナーの方はいなくて 社員の方が接客。 CDを 選んでいると 先に来ていた 男性が
その社員の人といろいろ話をしていた。 三宮の シスターのお店の場所を聞いておられるけど もうひとつ伝わっていない。私は それは フラワーロードの西側で 予備校の横にあります と 横から口出ししてしまった。
 
すると その方は アメリカの メガチャーチの話をして 自分は気に入らないとか何とか言いながら 資料はないかといったりしていた。教会のいろいろについて コメントされるので 私は教会って神様から見たら みんな同じ 中華と 洋風の料理の違いみたいなモンです。 すると 今度は 変な教会ってある あやしいの・・・・ と言うので あっそれって どこの教会も みんな同じで変なんですよ。どこも変なんで それでいいんですよ というと 驚いた様子で 私は 語りながら 口と お腹が ぶるぶる震えてくるのを感じた。 
新しい異言?? 何かあるんだろうか??そして 彼が 本棚を眺めて本を探しているのに 私はあろうことか 本屋の中で  そんなの100読んでも イエス様はわからないですよ 一瞬でわかるから・・お祈りさせてもらっていいですか?? 言ってしまった。 口が上ずっていて発音ができない。

でも 彼は祈りを 聖霊を受け入れた。
私は いろんな人を祈ったけれど この方ほど 寒気と 震えが来たことはなかった。 
でも 主を信じておられ 又 主を探しておられるのを 祈っている間に感じた。
 
主は あなたの 内におられます。

探して探して ここにある 青い鳥のように 
一番近いところに 主はおられる。




みんな待っている [賛美]


このごろ とみに イエス様と出会う人が 周りに 集められています。
今日も ランチを 近所の串かつ屋さんで 相方のチェロ弾きと食べ
お金を払おうとしたら おやじさんが 私のつけているクリスタルの
十字架ペンダントを見て
「それはなんですか?」と聞かれたので
「あ~私たち クリスチャンなので 自慢してぶら下げてるのよ~」と言って
帰ろうとしたら 
「名前ってあるんでしょう?なんですか?」って しつこく聞くので
「ナタリーと モーりーよ。漫才みたいでしょう?」というと
「いや いい名前ですね」って 十字架見てるの。そして 
又 もう一度言われるのです。それで
「私はフルート 彼女はチェロ引きで 教会で演奏しています。12月には
会堂が建つので 響きのいい場所で 聞けますよ」というと
「是非呼んでください」と 奥さんが出てきて
「娘がフルート吹いています 大阪音大です~~」だって。
何度も 呼んでくださいね と言われるのです。
不思議でしょう??お客さんへのお愛想ではないと思う。

私は みんな「待っている」のではないかしらと思うことがあります。
こういう時代だからこそ  求める。
本当の 愛が欲しい。
その響きの中に居たい。


呪いとか 祟りというもの。 [賛美]


祖母は 洗礼の 5日後に 天に帰った。 葬儀で会った 祖母の顔は 透明感にあふれていて 美しかった。 
クリスチャンの人の死に顔は 何故か 美しい静けさに包まれている。
私は めったに訪れることの無い 母の実家に 気になっていることがあった。 以前 弟の腎臓の病を祈っている時に いつも
この田舎の 家のはずれにある祠(ほこら)〔大きな鳥居も付いて 柵で囲われた立派なもの)が頭に浮かぶのだった。なぜ覚えているのか小さいときに見ただけなのにと そのことを尋ねた時 母も驚いていた。 そして 私がこの祠の意味を聞いたときは びっくりで 少し怖いと思った。 それは呪いとか 祟りとかそういうものを感じたからだ。 
母方の実家は 長男が亡くなり 詐欺にあい工場を閉め 祖父は早くなくなり・・わたしの家族も 長男が亡くなり 母から 遺伝的に 腎臓が悪い。 
「何を祭っているの?」 と母に聞くと 「おじいちゃんの愛人だった 芸者さんが おじいちゃんを恨んで家の横の川に身を投げたのでそこに 水の神様を祭っている。ご神体は白蛇」  !!!!
私はその当時 私の周りの友人たちが その場所に行って祈る・・・というのに結構力があるのを知っていたのでした。
で 今すぐその祠に行って祈ろうと 思いました。 でも 牧師に聞くと「信仰に寄らないものは罪」といぅアドバイスを貰いました。 自分が何かをするというのとは違う。主にゆだね そこに賛美が満ちてくるのを祈ろうと決め 毎日祈りだしました。
すると 不思議なことに 祠の中を イエス様が 歩いているのが見えます。そして祠の中の 小さい神殿のようなお宮が 足から消えていきます。 そして何日か後に イエス様が 「ここはすでに私のもの」 と言われました。 あまりにクリアーな経過だったので 驚きました。 
昨日 お葬式の帰りに 気になっていた その祠に行きました。 そして 聖水をまいて清め 身を投げた人が イエスキリストの十字架に帰るように祈りました。しかし やはりすでにそこには 何も無いような感じがしました。祠の後ろに十字架を埋め この土地が清まるように祈りました。(これから祈る人は 十字架に祈っているんですね?!?)
やはり 以前に祈った時から 賛美が満ちてきていたのだと 本当に信じることが出来ました。
賛美が満ちるように祈る どんなに離れていても 祈りは届いています。


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