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呪いとか 祟りというもの。 [賛美]


祖母は 洗礼の 5日後に 天に帰った。 葬儀で会った 祖母の顔は 透明感にあふれていて 美しかった。 
クリスチャンの人の死に顔は 何故か 美しい静けさに包まれている。
私は めったに訪れることの無い 母の実家に 気になっていることがあった。 以前 弟の腎臓の病を祈っている時に いつも
この田舎の 家のはずれにある祠(ほこら)〔大きな鳥居も付いて 柵で囲われた立派なもの)が頭に浮かぶのだった。なぜ覚えているのか小さいときに見ただけなのにと そのことを尋ねた時 母も驚いていた。 そして 私がこの祠の意味を聞いたときは びっくりで 少し怖いと思った。 それは呪いとか 祟りとかそういうものを感じたからだ。 
母方の実家は 長男が亡くなり 詐欺にあい工場を閉め 祖父は早くなくなり・・わたしの家族も 長男が亡くなり 母から 遺伝的に 腎臓が悪い。 
「何を祭っているの?」 と母に聞くと 「おじいちゃんの愛人だった 芸者さんが おじいちゃんを恨んで家の横の川に身を投げたのでそこに 水の神様を祭っている。ご神体は白蛇」  !!!!
私はその当時 私の周りの友人たちが その場所に行って祈る・・・というのに結構力があるのを知っていたのでした。
で 今すぐその祠に行って祈ろうと 思いました。 でも 牧師に聞くと「信仰に寄らないものは罪」といぅアドバイスを貰いました。 自分が何かをするというのとは違う。主にゆだね そこに賛美が満ちてくるのを祈ろうと決め 毎日祈りだしました。
すると 不思議なことに 祠の中を イエス様が 歩いているのが見えます。そして祠の中の 小さい神殿のようなお宮が 足から消えていきます。 そして何日か後に イエス様が 「ここはすでに私のもの」 と言われました。 あまりにクリアーな経過だったので 驚きました。 
昨日 お葬式の帰りに 気になっていた その祠に行きました。 そして 聖水をまいて清め 身を投げた人が イエスキリストの十字架に帰るように祈りました。しかし やはりすでにそこには 何も無いような感じがしました。祠の後ろに十字架を埋め この土地が清まるように祈りました。(これから祈る人は 十字架に祈っているんですね?!?)
やはり 以前に祈った時から 賛美が満ちてきていたのだと 本当に信じることが出来ました。
賛美が満ちるように祈る どんなに離れていても 祈りは届いています。


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