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別れと再会 [癒し]

ochanoko 313.jpg 先日 私の幼馴染であり また 中学生で教会に初めて行った時の日曜学校のお仲間でもあった人の 遺稿集が送られてきました。 
短歌です。最後のお世話をした方のあとがきによると 去年の春 病気で亡くなっていたことがわかりました。独身の彼女は どんどん友人を切って 最後は 数人の 世話になり 召されたようです。
彼女を 12年前 洗礼に導いたのは私。 偶然彼女の絵の個展に行き その絵のあまりのおどろおどろに・・悪魔の絵だったのです。 驚いて 牧師に絵の描かれた案内状を見せ 相談しましたら すぐに 洗礼をしないと と言われました。 独身だった彼女に 私は いい人を紹介するわ 外人系で あなたより若い人よ と言って 教会に連れて行きました。 すると彼女は なあんだと言って どうして 私が洗礼を受けたがっているって わかったの?と そういいながら 洗礼を受けました。
 
主は彼女を癒やし 導き 次々と展覧会に入賞し・・・・・しかし とことんのところで 彼女は捨てられないで掴んでいる 塊があった。それは 不倫関係であった恋人 その人はもう その十年前に死んでいたけれどどうしても 聖霊様にその塊を明け渡せないことにつらかったのか 私に 「どうしても その過去の恋愛は 捨てられない 明けわたせない」と 泣いて電話をしてきたこともあった。 よほど主に聖霊様に 迫られたのか ・・・・ 
突然 私の元から そして 教会から去っていった。 子供の時に言っていた教会に行ったといううわさも聞いていたけれど 私は 聖霊様から逃げているのは変わらないだろうと わかっていた。 
あんなに美しく 頭もよく 才能のある人が なぜ? そんな不倫 しかも死んだ人に対して 執着して 生きて生けるのだろうと不思議だった。 不幸が 彼女の アイデンティティであり かわいそうは正義になっていた お子チャマだったと 
今でも思う。 
しかしながら その歌集には   
わが罪も 悲しみも主が 誰よりも知りたることに すがりて眠る
という歌があった。
ダイジョウブ 彼女は イエス様の あわれみのうちにいる。 どんな一生であっても 主イエス様と叫ぶだけで いいんだと思う。 
彼女は私に対しては 裏切ったようなことで 私自身も 腹が立つ(正直にいうと) でも それでもいいじゃないの イエス様おられるから って。
「さよならは言いません よかったらまた会って下さい。いつか永遠の中で 小鳥のようにおしゃべリしましょう たくさんたくさん。」これが 彼女の 最後の私に対する メッセージでした。ナルシーな彼女らしい遺歌集でした。
やはり言葉には霊があります。 書いて残して。。。。不幸を書き留めるということは 良くない ほんとに良くないと
読みながら思ったことでした。

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