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生まれ変わり [十字架]

良くあなたの前生は 巫女ですとか 侍ですとかいう霊能者がいる。彼らもある程度は見えているから 相談者の過去や かかわったものや 背後にいるものが見えるのでそういうことが当たったりする。というか当たっているように見える。しかし 死後というのは
生まれ変わりではなく 闇か 光かだと思う。
だから キリストが来られた。救い というのは救われないに対峙して存在する。救いとは光の世界。永遠のいのちの世界。 救われないということは闇の世界。その二つしかないと思う。神に作られたわたしたちは ご自身が神であるキリストによる贖い以外では 救われない存在なのだ。それは 人が罪を犯さずにいられないからだ。 咲いている花が 罪を犯すだろうか?? 人は生きている限り 知覚するしないにかかわらず罪を犯し続ける存在。神との和解は 十字架でしか 贖いきれない。
ナニに生まれ変わるか??輪廻転生 。一見わかりやすそうな表現であるが その中には 死後に対する恐れと希望が存在している。 また恐れをベースにした律法の世界でもある。
よき行いをする人は 良いものに生まれ変わる。この律法は 十字架による神との和解が存在しない場合の話だ。イエス様の十字架以降は 人は十字架を見上げれば もうゆるされているのだ。
ゆるされているから 光の世界にいける。人の 自らの行いや 人格にかかわらず 神はご自身の体を捧げて 自ら作ったものたちに 永遠のいのちを下さったのだ。
ある方が自殺したお嬢さんのことを祈ってもらいに 教会に来られた。そして おじょうさんは 神社で亡くなったので それまで ご両親は毎月命日にその神社にお参りに行っておられたのだけれど そのあと行くと 宮司さんが 「私は お嬢さんを祈っていたけれど 〇月〇日にもうダイジョウブという思いが来たのでもうご両親 来られなくてもダイジョウブですよ」と言われた。その日付けは 教会で お嬢さんのことを祈ってもらった日だった。
生きている間も 死んでからも 闇にとどまることも出来る。しかしわたしたちを作られた神ご自身が 私たちに望んでおられるのは 光の中で生きよ。ということである。生きているのも死後も実は霊ではつながっていて 私はずっと私自身であることを神が望んでおられるのだ。 


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親子どんぶり [十字架]

見えていることだけが この世にあるわけではない。ですよね。例えば 親子どんぶりを食べていて
じっと鶏肉と卵を見ていると どちらが先かと考えるでしょう?? 私はえいやっで同時としか思えない。神様が作られた・・のですね。 だから 鶏にも卵にも神様の思い いのちが流れている。まして
人は です。 しかし その創られた神との和解は キリストを通らないとありえないのです。 イスラエルやアラブの戦いを見ていると 旧約の世界を見ているようです。私は旧約には 神との和解が無いと思う。イスラムもユダヤも いまだ律法の中にいるし戦いは エンドレスだ。 よくクリスチャンになりたくないと言う人は 「だって宗教戦争があるのは それぞれの宗教の主張が戦争を生むんだ だから 自分はひとつの宗教を取りたくない」と よくいわれる。しかし 神はひとつ 創造主はひとつ そして和解していない 許されていないものは 本当のものに対して 反発し続けるので戦争は起こるのだ。見えない意識で霊で反発し 闘う。だから 平和は 人の力では出来ない。人が 神と和解し 聖霊の風の吹くところでしか 本当の平和はありえない。


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お盆と靖国 [十字架]

お盆休みに入った、8月15日は 何という日だったのだろう。霊に敏感な人たちにとっては この日はとてもつらい日。体が動かなくなったり 意味無く怒りや悲しみが襲ってくるという。
首相は靖国神社に参拝したが 「お盆なら その霊は自宅に帰っているのではないか??」と言う漫画が週刊文春に載っていた。
戦争で亡くなった人がすべて神になると言う考えは 狂気でしかない。神ではない。その霊が存在するとしても それは神ではないのだ。それを拝すると言うこと自体が間違っていて 英霊が 戦犯がという問題ではない。本当の神に対する畏れが この国には無いのだ。 だから霊が野放図に暴れまわる。でもモウこの状態に慣れているから なんとも思わないのだ。 
首相に あなたのお家に仏壇は無いの?? ブディストじゃないの??と聞きたい。ご都合主義じゃなくて あなたの本当に信じているのはナニ?と。
朝 出かけて迎えに来てくれた夫の様子が変・・怒りで体中が詰まっているようなので どうしたのと聞くと 参拝や慰霊祭をTVで見たら こうなったと言う。 いったいどれだけの人が8月15日にこのように傷つくのだろう。 戦争で亡くなった人に対するシンパシーは私にもある。でも本当の神を通して出なければ 彼らは癒されないのだ。
富田メモ・・コレが世に出てから 日本の空気が変わった。 霊的な空気が変わってしまった。それほどのことだ。 キコ様の赤ちゃんは又女の子だと思うし マサコ様はオランダに行く意味も 大きな事。 私は帰らないというか 帰れなくなると思うのだが。
それにしてもお盆とは不思議な日だ。 ご先祖様が帰ってくる・・・それならいつもお仏壇の中にいるのは なに?? お墓にはナニがいていつ移動するの?? 国中で呼べば 霊的世界は 元旦以上の騒ぎだろう。
 


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こっくりさん [十字架]

私が 初めて こっくりさんというものを知ったのは 大学の寮だった。 夜毎お誘いがあり ある部屋で(その人は人の顔を じっと見ては心の中をのぞくような人だった。今思えば見えていたのだろう)同じ部屋のK子ちゃんが わあわあ騒ぎながら帰ってきた。 当たる当たる なぜ当たるんだろう?と。彼氏の名前まで当たるのよと言っていた。
私は 何故か行く気がしなくて・・「それだからどうなの?」と思ったのだけれど 今思えば守られたのだと思う。 十年くらい前に 友人とお茶していたら その話が出て 自分の体験を語った。 こっくりさんをした次に日に 友人が自殺したという。でも 理由がわからない。提出する宿題を お願い手伝ってといって 別れたあとだった。学校に来ないので アパートに見に行くと死んでいた。こっくりさんて 来るのはいいけど 帰らなくなるのよねと言った。 そういえば 近所の中学のあるクラブの部室で こっくりさんがはやり そのメンバーーが なぞの飛び降り自殺で2人亡くなっている・・・これは
ああそうか こっくりさんて 何が来るかわからない オマケにお帰りにならないことがあるのだと知った。聖書にも 整えられて美しいところに霊は又住み着くとある。呼んでいるものが 悪霊の可能性もあるのだ。日本人は何にでも神様が・・と言うがそれはある意味正しい。それを感じるのを よくすばらしい日本人の感性 と言う人も言うけれど 私はそうではなくて すでに諸霊に覆われているからこそ
ほかの霊を感じると言うことではないだろうか。子供たちに絶対 占いや こっくりさんをしてはいけないと 親は教えないといけない。 先日の子殺しの犯人鈴香 も こっくりさんをしてから 人格が変わったという。悪霊がついたのだろう。 そうなるとモウ自分ではない。悪霊の手先になって動いているだけだ。子供を殺したり 強姦したりする犯人が よく 悪魔が自分にはいぅて来たというが
それは 本当なんだと思う。 たまに 霊的に敏感な人は それを感じることが出来る。又自分の自由が奪われて動かされてるのがわかる。 やられやすい人でもあり また入り口になる魂の傷の大きい人でもあるだろう。 ではどうすれば 回避できるかというと
#いつも喜んでいなさい 絶えず祈りなさい すべてのことに感謝しなさい (聖書)と主を信じ仰ぎ見ること 罪を犯さないことを含めて 悪霊の入り口を作らないこと。 そして 何より 洗礼で封印し 賛美で 自分の霊を聖霊で満たし すべてを清めるキリストの血潮で自分を覆おい 日々主の愛とともにいることだ。 私は子供のことで イエス様と再会し 真に出会った。でもそれは新たな霊の戦いの始まりでもあった。明日は 習ってもいないのに6カ国語を ネイティブに話す塾の先生の話。続く


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至福 [十字架]

私が時々覗いているサイト。すごくいい カトリックらしい記述が。
洗礼を受けたばかりの人で 古クリじゃないところが好き。いいなと思う。
http://blog.livedoor.jp/m-72_16352/archives/cat_1235795.html

そこからの引用
「老人の友人に対する至福」 (訳は不自然? 。。「老人の友人にある至福」というほうがいいかも。        
**************
私のよろける足取りと
  ふるえる手を理解してくれる人は幸いです。 

私の耳は、人のいう言葉を聴き取るためには、
  大きな努力が必要であることを
    わかってくれる人は幸いです。 

私の目は薄くなり、
  私の行動はのろいということを、
    善意のうちにわかってくれる人は幸いです。

私が珈琲をこぼしても、変わりない
  平静な顔をしてくれる人は幸いです。

暫らく立ち止まって、
  明るく微笑みながら、
    おしゃべりをしてくれる人は幸いです。

『今日は、その話を二度も聞きましたよ』と
  決して言わない人は幸いです。

楽しかった昔を取り戻す方法を
  知っている人は幸いです。

私は愛されており、
  独りぼっちでないことを
    教えてくれる人は幸いです。

私には、十字架を
  担う力がないことを
    わかってくれる人は幸いです。

愛情深く、
  人生の最後の旅路の日々を
    慰めてくれる人は幸いです。

***************

 最後から二つ目 私には十字架を担う力が無い
そうなんですよね 老人は私  私はゆるされたいと思う。


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TVの中から [十字架]


今朝遅い食事をしていたら モーツアルトの ルーチエ・シッラの
歌詞がTVの画面に映った。

それは ♪
イエス様が自分の傷を示して広げ 言われた。
「それでも まだお前は 死ねないのか??」でした。
ちょっぴり泣いてしまった。

私は今 対人関係で悩んでいる 真っ最中。
肉に死んでいるつもりだったのに 全部死んでいたわけではないと
とことん 明らかにされました。


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クロスアクセサリー [十字架]


久しぶりのVeritas 日記 アクセスできない日が何度かあって ご無沙汰です。
写真は イタリアのシルバークロス。 水晶と淡水真珠のネックレス(手作り)につけてみました。
クロスは何故か イタリアが綺麗。縦横のバランスがいい。 ところが注文してみると なんでもゆっくりでコレで仕事が出来るなら そうなりたい うらやましいと思いつつも ついつい催促のメールを送ってしまう。
このごろ 手作りタイムが減って お手軽温泉に入り浸ってることが多い。体の変わり目を感じているので もうすぐおばあさんになるのかなあ?と思う。


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占い [十字架]

占いの人が良くテレビに出ている。普通の番組で占いのコーナーも沢山ある。当たる。私は以前子供の問題で 「星占い&四柱推命」 という人のところにに行った事がある。座るなり私の秘密をばんっと語られ 私ははまってしまった。その方は 子供と私が翌年の6月にあなたを救う女の人が現れて 子供は癒されると明言した。実際 それはMさんという癒しの伝道者で 6月に出会い 子供は瞬間癒され クリスチャンになった。それを聞いて 星占いの方は私にこう言った。「実は私は占いをやり始めた女学校のころから 体の左半分がしびれている。原因はわからない。祈ってもらいたい」それでやってこられ 祈られたけれど 伝道者のMさんが 「占いを捨てて イエス様を取りますか? 」と聞くと「占いは私の生きがい捨てられません」と言われました。占いは統計的といいながら 最後は霊感を使いますから 占い師は諸霊に支配されているのです。見返りに彼女は体の健康を取られていると思います。でも巧妙に占いやる人のプライドに入っているのでなかなか捨てられません。でも人は私も含め 占いが当たるので従います。牧師に聞いたことがあります。「占いって当たりますよね?」「そうだね でも根本的な解決にはならないだろう??」なるほど。なぜTVの占い師があんなに偉そうにしているのか?それはくっついている霊のエゴが主張しているからでしょうね。人は占いに従って名前を変えたり 行動を変えたり 恐れが根底にあると どんどんはまりますよね。イエス様に祈れば最善がなる。聖霊は生きて働かれる 愛のお方だから。コレってホントに自由。いまがどんな状態でも 主にしたがって生きさえすれば 最善がなるから。(できれば結果をいつも先に教えてチョウと思うんですけれど)


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神の領域 [十字架]


ある日 ぴんぽ~んと チャイムが鳴りいつものように「聖書のお話を」の人たちがやってきた。
わたしはそのころ 怖いもの知らずで どこへでも出かけ 祈り証し喜びに満たされていた。で、友人がこの人たちが来たとき 「子供が風邪を引いているのに 親に手を引かれて回っていたのを見て思わず祈っちゃった」というので わたしにもそのような機会が与えられたら と思っていた。それでチャイムが鳴ったら 玄関に顔を出した。するとそれはわたしの知っている人だった。祈りの友の上の階に住んでいる人だから。それでつい どうぞと言って家に入れてしまった。わたしはこっそり電話の子機で 祈りの友を呼び出し来てもらった。やはり論争になり祈るどころではなかった。人格的に違うと言うのではなく 霊が違うのだとわかった。それで二人は帰られたのだが ドアを閉めて コピー機をつけたとたん ばんっと家中の電気が消えた。わけがわからず電気屋さんに来てもらうと 配電盤がだめになっていた。原因がわからないので電柱から関電に調べてもらったけれど やはり理由はわからなかった。教会のビデオテープをダビングしていたビデオと メッセージテープをダビングしていたテープデッキが壊れていた。配電盤工事は10万円。いったいなぜ??祈っていると「神の領域」と言う言葉が浮かんできた。そうだ これは神の領域なのだ。伝道のつもりでも 入ってはいけない危ない領域がある。そこに踏み込んでしっまって警告が来たのだと思った。それ以来 ほかの宗教に関しては 見えるけれど見ないようにしている。


背後霊 守護霊 [十字架]


わたしは美容院で 週刊誌を読むのが大好きです。そこに ある霊能者の生い立ちストーリーが載っていました。わたしの息子も彼のように霊に苦しめられた経験があるので
他人事とは思えず読みふけりました。すべてうなずくことばかり すごく理解できましたが 最後にキリストに立ち返らなかったところだけが息子の場合と違います。霊が見えたり聞こえたりすることは わたしの基準では 普通のことです。普通ではないように思われるかもしれませんが 誰でも大なり小なりその能力を持っています。 それが強い体質の人がいるということなのです。わたしは神様は 人の間に そういう人が必要なのでそのように造られたのだと 今では思います。神と交わりその声を聞き予言をするというのは 神の側から必要なことだったのでしょう。先日TVで 彼の番組を見ました。彼はとても善意の人で いろんな霊のトラブルを解決しているように見えますし 心理学的にも前向きの良い解決法を与えておられると思います。でも究極の根本的な解決ではないというのがわたしの考えです。占いと同じなのです。よくあたりますしそれなりの強い霊が彼を覆っているのかも知れません。(私は見えないので・・想像)。彼が言う背後霊とか 守護霊様というのが いったい何なのかとずっと見ていたのですが 番組で 「あなたの守護霊様は前おられた方とは違います。守護霊様は 入れ替わるんですよ」といわれていたので、 なあんだやっぱり諸霊か、それが見えるんだなとわかりました。いったい人は そんな守護霊様が次々いれかわっても 生きていけるのでしょうか?たとえそれがエライ坊さんであっても ご先祖の何チャラであっても そういうエゴのあるものに影響を受け続けることが 「私自身を生きる」ことから程遠いことだと思うのです。その霊能者はいいとこまでいってるし善意の人で 今までに無い霊能者と思いますが 人は キリストの聖霊を知れば諸霊の間をさまようことは 無いのです。背後霊が二つも三つもくっついていったいその人はどう動けばよいのでしょう?どの声を聞けば?主張しあうものをどう折り合いをつけるのでしょう?その状態を 統合失調症とか多重人格と呼ぶのだと私は思います。 普通に生活しながら霊を感じ 不自由に思っている人は大勢います。影響を強く受ける人は 体にもきます。恐れも感じるでしょう。そうなれば 決断のみです。ただひとつ キリストイエス様の聖霊だけでよい 光の中を歩む その御名に力があるという信仰の決断です。そこに本当の自由があると私は信じています。


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