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父の入院とがっくり [癒し]

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先週の金曜日 旅行に行こうと るんるん。
夕方6時 待ち合わせていた 東京の駅に着いたら 
ケアマネから電話 父の左手が麻痺して動かなくなっていると。

父に電話すると  梗塞じゃなくてくも膜下か 硬膜下やと思うけど
もう病院にはいかへん と言う。又か~と思うが あまりにも遠く
説教して 「大学病院に 救急車呼んで行く様に カルテがあるんだから」
結果的に 甘かった。 
いくら 3日前に診察受けていても 家の目の前の病院でも 
救急車で運ばれて 入れてくれない・・・事があるんですね。
呼ぶときって 基本的にどこに行くか わからないって思っておかなくてはダメですね。
前回は ドクターに了解を貰ってから運んだので 入れたけれど。

私は とってかえして 深夜に自宅に戻った。
明け方まで何度も目が覚め その度に 平安な死を 彼に与えてくださいと
祈り続けた。これが 階段を下りる最初であろうと 想像ができたから。

翌朝 大学病院に行くと
そんな人いません。えっ。
消防署に行き 聞くと 断られたので 3つ向こうの駅の病院に運んだと言う。
そこにに行くと 県境の病院に行ってると言う。
私は たらいまわしツアーかヨ~! と思いながら 一路車で 向かう。

ほぼ 田んぼの中に建つも まあまあの大きさの病院。
駆け込むと もうオペしていると言う。
看護師の説明 なかなか良し。
これで ダイジョウブな病院と思って安心。
硬膜下の 出血なので 脳の損傷はないと思われますが
とりあえず今晩は ICUなので  と 付き添っていた母を 送って 私は自宅に戻りました。

翌日 ICUから出た父は ・・・・・アホになっていました。
ICUでは暴れて 看護婦さんを殴り  紐でくくられてたとか。
そりゃあ 頭に 小さいとはいえ穴あけてるんだもん。

しかしあまりにも酷い 混乱 幻視 妄想・・・・
その姿を見て 私は ほんとに このまま召されよと心から思って祈った。
でも なんだか ベッドの上の右の方に 主がおられる様な感じがして
「このものは 私のもの」と いわれたような気がして 
ダイジョウブですね と委ねることに決める。

そして 翌日には 半分ぐらい回復す。 自分の薬箱から 必要な分を出して
飲めるようになる。 まだ現実離れの話が出るけれど。
脳って強い! 感動。 アホからこんなに 複雑な投薬が出来るように 回復するなんて。

脳のために ずっと話しかけるようにしていたら どんどん復活。
おとといの夜は ナースコールが完璧に出来たので 昨日私は自宅に帰れました。

がっくり?
入院が がっくりじゃないんです。 それはそれで大変ではあるんだけど・・・・

お見舞いに来てくれた 父の透析の病院のドクターがね
「奥様 お疲れが出ませんようになさって・・・」って言ったの。がつくり。落。
あ~~あ~~落ち込むわ~~~~
わたしって なに?
今から美容院行って キレキレしてきますう。




 





ひ孫と対面 [癒し]

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今日は 次男の一家が 私の実家に来てくれた。 
両親にとっては二人目のひ孫。

まだ小さいのと 遠方なのと 両親が 旅行は無理で
二人のひ孫には 出会えていなかった。
父の病状が心配で 次男が今のうちに 会わせると言う。
少し大変だったけれど  ご対面  することが出来た。

先日来の 病が進んでいたら 入院していたら ベビーを連れて行くのは
ためらわれたと思うので 
ホントニ 少ないチャンスを うまく来てくれたと思う。
また会えるかどうか ?? わからないから。

父はにこにこ 母は うれし泣き・・・・
私は 自分が おばあちゃん であることを再確認して・・・

イエス様 ありがとう。
皆で撮った写真を見たら  
それぞれにイエス様が住んでおられるのがわかる。
特に 両親。
そして ベビー! 洗礼を受けてから ガラッと変わり
生き生きしている。 ベビーだから?違う!

次男もそういう。
私は誰にも 言わなかったけれど ベビーの発育が遅いように思っていた。

でも 癒やされているわ!
病院でも珍しいくらいの すごい難産だったので 
取り上げた次男は お嫁ちゃんに馬乗りになり 必死で祈りながら
押し続けた。
お嫁ちゃんも 大変だったけれど きっと ベビーも 
怖くて 痛くて・・・ その時の心の傷が残っていたのでしょうね。
なんだか 生まれてからずっと すっきりしない 暗い顔だった。
怖かったのね。

日々 人は 傷付かずには生きられない。
でも イエス様は 日々 癒やそうとしてくださる。 感謝!

 [癒し]

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(写真は 篠山の イタリアン 茜)
父から 先週 播種性血管凝固症候群 という ややこしい病の疑い 
ということで ファクスが届いた。

血液が 体のどこか(父の場合は 透析のシャント 又は 解離性大動脈のあと)に 傷があり
そのために フィブリノーゲンが 消費されて その現象のために
今度は 凝固が 強くなってくる・・・・つまり 大出血か 梗塞か 
何時起こってもおかしくない と診断されたということ。

父は 一応自分も医者なので 色々資料文献を取り寄せ
頭の中では 診断もし 判断もし 未来に対して 悲観する。
入院 加療も あの年になれば 苦痛で 本人は何よりそれがいや。
私も わずらわしいので 入院はなくしてくださいと祈っていた。

私は ファクスがきてから あわてて実家に行き まあ 祈っておこうね
と言って 父の腕にある 透析のシャントを祈った。
その後 劇的にフィブリノーゲンの数値が良くなり
昨日 医大の教授も 様子を見ましょう 入院は 先延ばしですと言われた。

知性や 人の判断をいくらしても 動かないものもある。
でもやっぱり 主にゆだねる ということで どれだけ主が働かれるか
ということを もう 父もわかってもいいと思うのだけれど・・・・

さて 私の体重は・・・2キロ減 となりました。
まずは お洋服のウェスト周りが ほんのり 楽になりましたよ!!

脱メタボ [癒し]

このブログを 最近読んでくださった方が
「冷蔵庫を開けたら 全部中身が腐っていたというような 
おもしろいこと書いてくださいよ~」と
言われました。
そうだなあ~~固いかも と 反省。
日々の生活が あまりにもげらげら  だらだら ぱくぱく と暴走しているので
自分では ブログで バランスを取っているつもりなんですね。

さて 私は 35年前は 46~51キロの間を 行ったりきたりする スリムな女の子だった。
え~~ほんと?! と言われるくらい 今の私は DEBUちゃんです。
5年前には アイソメトリックスと 食事で15キロ痩せたのに
ワンコが死んだり 色々あって またまた 取り戻してしまいました。 
大体太る時は もちろん ストレスなんですけど 我慢系の状態の時に
加速するようです。

メタボ検診の紙が送られてきました。
来年1月までにどれくらい痩せられるか ・・・・それも
アップしていこうと思います!!!
株価の下降に 励まされている・・というところです。

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とりあえず 先週で1.2キロ痩せました。
トントン というウエスト巻き巻きで ぶるぶるさせる機械
電話一本で 友人が15分後に 持ってきてくれました。
(見るに見かねていたのね・・)
なかなか効いています。

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とりあえず 並べてみました・・・・・・




ぶどう園 [癒し]

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青垣ワイナリーのぶどう園に ぶどう狩りに行った。HPを見ると
楽しそうな雰囲気だったので 朝から 夫を伴い車を走らせた。

途中 篠山で 茅葺の立派な建物の中にある いたりあんレストラン茜で
ランチを食べた。 オーガニックの野菜の味が ホントニ良い。
そして 街に入り、青山通りの 「青木百貨」に寄り 古い荒物を探索。
ここは タイムカプセルのような店。 子供のころ持っていた
水筒が売られていたり。。。。 風呂の手桶 庭箒 などを買い 一路青垣へ

そこには 小さい ワイナリー。
建物には誰もいなくて ブドウ畑にいます という張り紙。 そして夫と歩いて
近くの畑に向かう途中で 後ろから 若いお姉さんが 自転車でこられ
「車でも きてもらえますよ~~」 と 明るい声。

着いて 園のお兄さんに説明を受ける。なんだか 顔がイチロー そっくり!
おもわず「 イチローにそっくりですね!」と 言ってしまった。
彼は 親切に ぶどう畑の中で どれが食べごろかを 説明してくださって
いくつかを チョキン チョキン。 おいしい~~。

8歳くらいの かわいい女の子が お店番のお手伝い 。なんと 先ほどの若い方たちはご夫婦で
この女の子を初め 三人のお子さんがいることがわかり 驚く。

大きな実をつけた 美しいぶどうたち。  素晴らしい!
一つひとつの実に 沢山の人の働きが詰まっている。 そして 天の恵みも。

夫は イチローサンに 牧師さんですか??と 聞かれていた(笑)! 彼の結婚式の時の
牧師さんに雰囲気が似ていると言われる。 それは 同じ聖霊に満たされているからネ。

なんだか 親戚の家に寄せて貰ったような気がする ぶどう園だった。

温かい家族みんなで (子供たちも参加して)経営するぶどう園。 
彼らの結婚式がキリスト教式だったと。 たまたまということであっても
イエス様は そのことを覚えておられ おおきな恵みを 下さっているのを感じる。

ワイナリーの発展を祈ります。
来年も行くわよ!

幼児洗礼 [聖霊]

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昨日は 二人目の孫の洗礼だった。 道路が混んで到着が遅れ 
礼拝中に親子で入ってきた。抱くと にこにこ。 
賛美を聞いていると はーちゃんが笑う。

あ~~いいこだなあ。 神様がわかるんだなあと 感動。 
ワンコと子供は神様がすぐわかる。 
礼拝が終わって 洗礼を受け ばんざ~~い!
幼児洗礼って 子供が 神様をわからないのに
受けさせたらだめという教会もあるようだけれど 
そんなことは無い! 
子供の顔を見てたらわかっているのが
見て取れる。目が変わり ぱあっと明るくなる。
だって 神様は 愛だモン! 知性で知ることは無くても
霊の神様を 霊で受け止めている。 
おめでとう!はーちゃん。
永遠まで 神はともにあり!

洗礼服 [祈り]

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またまた うれしいお仕事。 
次男のところの孫娘(いい響き!)の 洗礼服を縫った。
次の日曜日なので 間に合った! という感じ。

今回は ガールなので もっとふわふわにしようと
かなり張り切っていたのに 
やはり 男の子しか育てていないので なんとなく
あっさり系で おさまってしまって・・・・

花嫁衣裳ね と 言った友人がいた。
ちなみに ボーダー柄の布を使うと 作りやすい。
ヘアーバンドは 洗礼のお水が顔にかかって
泣く子がいるので 丁度いいかと・・・・

はーちゃんの幸せを祈ります。

神の時 神の働き 天の人の祈り [聖霊]

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昨日 夫の姉が電話してきました。
姉は夏の教会のリトリートで(いろんな人がお泊りする)ランチを食べていた時
  
隣に座っていた友人に
「母の 兄が 霊南坂教会の牧師を 戦前やっていたこと・・
戦争でフィリピンで戦死 したこと・・
そのころ 母の実家に遊びに行ってたら 
「玄関に兵隊さん(叔父)が帰ってきたよ~~」 と
その姿を見たこと。(子供とワンコは良く見えるそうですね)
そして 「その子供と奥さんは 戦後 トロントに移住して暮らしている
らしいんだけど  音信不通なのよ~ 
死んだ母は トロントに行って 探して会って来てくれと言ってたわ~」
と ぺらぺら 話していたら

反対側の隣のNさん(たまたま座られた、姉は全く知らない人。
だってカナダに在住だから )が

「私 トロントに住んでいます。ナカムラさんは 二人知っていますので 
聞いてきてあげます」  と言われました。
姉は コレってなあに?と思いましたが 待っていました。

すると Nさんから メールが来て 
「見つかりましたよ 二人のうちの一人でした。 
彼は 21日に東京に行く予定があるので 会えますよ」

今が時だったのでしょうか・・・・・・
こんなことって・・・・・
ただ 雑談していたら 隣の人が 何もかも 整えて・・・・
見つかった!

ひとつは 母の祈り・・・天で祈っていたのだろう。 
叔父が 見つかるということだけではなく
何か母の願いのようなものが クリアーになっていくのかもしれない。
しかし 聖霊の働きって 
本当に ・・・・神の時 神の働きを感じます。





バロック音楽の 息 [賛美]

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昨夜  バロックを勉強中のバイオリニストのお嬢さんのコンサートがあった。
私は バロック曲について 仮説を自分で(何か勉強したわけではなく)こうじゃないかと
私なりに思うことがあった。 
以前は 音楽史上 ロマン派に進化する途中の楽曲くらいにしか思っていなかったのだけれど
そうではなく 人の霊の歌に限りなく近い 
プリミティブに 肉がはいっていない分野の曲ではないかと思い始めていた。
それで フルートで バッハを新しく やり直してみようと思いつつ 
出来ずに。。。この夏をすごしてしまった。

風 止まるところのない風 しかも流れに揺らぎがあって
縦のリではない 無限マーク(8を横にした)の「のり」
それは 神の息に限りなく近い。賛美の風。

昨夜のコンサートでは その笛を聴くことが出来た。
自分なりの仮説(?)が ああ そうだったんだ、と納得した初めてのコンサートだった。

バイオリニストのお嬢さんとも 先ほどその話をしたら 全く
同じことを考えておられて 私は鳥肌。

私は バッハのフルート曲を聴いて クリスチャンになった。
それは そうなんだと 理由が本当にわかった。だって 神の息 聖霊なのだから。

起き上がって 私なりに バッハやってみよう!と思ったのでした。

事故現場を祈る [祈り]

blog7.JPG昨夕 暗がりの中で 自宅に帰る途中の バス道の長い急坂で 見たことのある車が 
歩道に突っ込んで 大破していた。 
近所の友人の 車か?と思い パトカーの隙間から 何度も引き返してみた。
どうも 彼女の姿らしいシルエットも見えた。でも 当たったバスや 
交通整理のパトカーで 近づけない。 家に帰って祈った。

ソコは 数年前 私がファンだった パスタやサンの奥さんがバイクで 事故ったところ。
あの時は 何でこんなことがと 思い
そこを通るたびに 彼女のために もう事故が無いように祈っていたところ。

朝になって 彼女に電話をしてみると 
「坂の途中で ブレーキが利かなくなって 前にバスがありよけるために 歩道に突っ込んだのよ~。
でも だれも人は怪我も無く無事だったの。」とのこと。奇跡。

涙が出てきて うれしかった! 彼女はホントにエンジェルのような人。
パスタやサンの奥さんのようなひとなのだ。
ア~~守られた!!! その場所を祈ることが 大切、とホントに良くわかった。

その坂は ベンツでも 電信柱にぶつけて即死という位 危険な坂。一見道幅も広く
安全そうに見えるけれど。 
賛美と祈りが その土地に満ちること その大切さを改めて知りました。

福原愛ちゃんの十字架 [十字架]

so-net blog.JPG全くの 体育会系ではない私は オリンピックもあまり関心なく 過ぎていった。
でも 卓球の福原愛ちゃんの姿をみて え~~っと 驚き見入った。 
彼女のシャツの間から しっかり出ている十字架ペンダント。
アクセサリーでつけているのではない 感じ。

なんだかほっとした。愛ちゃんが クリスチャンかどうかはわからないけれど 
自分の一番大事な場所に クロスを着け 着けるだけではなく しっかり 主張!!!
きっと 信仰を 得られているのだろう。

小さい時から 卓球一筋。 親に振り回された・・とか 色々思うことだろう。
小さい時の 負けるときの悔しい顔!
負けたら 親に愛されなくなる・・とまで思っていたかどうかわからないけれど
あまりに 子供にあんな思いをさせるなんて・・つらい と思っていた私は
今 オリンピックで 愛ちゃんが 勝っても負けても 良い世界にいるのがわかった。
卓球と愛ちゃんの間に 十字架が立ったのだろう。

貰ったものか 自分で買われたのかも 全くわからないけれど
つけている愛ちゃんに 神様の愛が満ちていると感じる。
マラソンの 増田明美さんのような変貌を感じた。目が違う。

同じことをしても・・入賞しても・・・ 喜びと絶望の違いがある。
今回 成績は振るわなかったけれど 本当に 愛ちゃんが喜んでいる
それで~~いいのだ~~~の世界です。



 [聖霊]

ochanoko 032.jpg先日 友人のご主人が 天に召されて お通夜に参列することになった。 
私はお香典を包もうとしたら 珍しく 買い置きが1枚も無い。 それで 
高速に乗る途中のコンビニで買うことにして  出かけた。 

初めてのコンビニで  お香典袋を3枚買って レジに行こうとしたら
レジの人の なんともいえない 美しい軽やかな声。 
マニュアルどおり言葉なのに なぜか 温かく 心引かれて 
どんな人なんだろうと レジで並んで じっと見つめていると
なんと! 同じ教会の元伝道者の方だった。 

私は納得した。
この声は イエス様の愛 なのだと。 今は 家庭に入っておられ
私は 久しぶりに 彼女にお会いして 感動した。
 
どこにいても 何をしていても イエス様に 使われているんだなあと。
街中の 何気ないコンビニで ありがとうございま~~す と言う声の中に
イエス様が おられる。
すごい! 

「楽しいお声だったので どんな人かと思ったら・・・」と お話した。
彼女は 多分意味がわからなかったと思うけれど 私は 本当に感動した。
どんな事情で 伝道者を降りられたかは わからないけれど
確かにその 存在をそのまま使っておられるイエス様なのだと。

街中の コンビニで響く彼女の声(イエス様の愛)。
存在そのものを愛されるイエス様。  

ファミリアのセール [賛美]

今日は ファミリアのセール。 
神戸の国際展示場に 朝から出かけた。
長男が生まれた時 チョコチョコ 何回か行ったので 実に
30年ぶりのセール。 

まさか孫のために 再登場するとは そのときは全く
思いもしなかったこと。 男の子と 女の子 4ヶ月違いで生まれ
買い物も 大変 です。 

大いに喜び うれしい買い物です!

それぞれが大きくなって 個性が出てくると
ファミリア でもない?と思うけれど ベビーの時は
いいかなと思う。 

私は男の子しかいないイので ピンクの子供服など 
買うのに慣れなくて・・・・
でも ワンピース ひらひら見ていたら 沢山欲しいものが・・・
まだ一ヶ月なのに 一歳用を買ってしまいました!





田舎の涼風 [癒し]

blog.JPGブログの更新がなくて ご心配かけました。お電話いただいたりして・・。
介護の世界にはまって くたくたになっていた私が 手放すまでに 
時間がかかりました。 あれこれあれこれと 次の心配をして動いていましたが 
本当に 主を信じて 働かれる聖霊様を信じていたら
これほど 私が (できないことまで) バタバタすることもないのだと。。。。

先週 大阪の病院までの送り迎えも 祈って 両親だけで介護タクシーで行って貰いました。
当日は かんかん照りにならないように祈り
夕立が降る 曇り!に 主が整えてくださった。

私の心も 落ち着きました。 主の働きを信じながら 本当にゆだねていないんだと
曇っためがねのレンズだったと 良くわかりました。

先週末は 田舎家へ お友達10人と出かけました。 わらぶきの田舎家を 改造して
泊めてくださるところ。 川の水に足をひたし かまどでご飯を炊き
畳の部屋にごろんと寝転ぶ・・・・

外は暑いのに 涼しい風が吹き抜けます。
聖霊の風 吹いて 私たちを癒やしたまえ。


孫 二人目は女の子 [祈り]

トモ家の人々 002.jpg今日の日付けが変わるころ 次男のところに 女の子が生まれました! 孫。

昨日様子を見に行くと 頭が大きすぎて 下りてこない陣痛が微弱ということで
カイザーになるかもと言う。彼女も陣痛に疲れたのか もういいわの状態。
早速三人で祈る。 

カイザーは 私は二人とも そうだったので よくわかる。
精神的にも お産の失敗のように思って つらいし
痛みが後々まであり 私は40台になっても 雨の日はうづいていた。
そして 何より 産んですぐ 痛みで ベビーをしっかり抱けないのが
ほんとにイヤだった。

持参した ベネディクトの十字架をべッドサイドにかけて
聖水を部屋の中にまきました。 (病院の中はややこしいから)。 

できたら賛美CDもかけて欲しいけど 
公立の病院だから ダメね。。。と 部屋の中に流れている 元気印音楽を聞きつつ
一旦家に戻りました。
「焦ったらダメよ 祈ってるから」と言い残して。

「時満ちて」 という言葉が 行きも帰りも車の中に響いていた。

夜中 もしカイザーだったら もう生まれているから きっとダイジョウブと信じて
祈っていた。
うつらうつらしていたら 電話が鳴り 次男のほっとした声が。

イエス様ありがとう。 
たくさんのDRや 助産婦さんが来て下さり
すごい難産だったにもかかわらず うまく普通分娩ができたと。

助け手をよこしてくださるのも イエス様。
ありがとう!
祈りの力を 新たに感じた日でした。

介護の世界 [癒し]

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両親の介護が始まって 2年近くになる。 先日 自分の疲れと 親の身勝手さにぶっちぎれてしまった。
そこに かなづちが無くてよかったの世界だった。 何か 「自分がおかしい」と自分でも気がついていたけれど。
はまってる。 介護をしている自分 できる自分 正しい姿の自分・・・・・に
悪いわね ありがとうと言う母の心の中に 私の気持ちは 全く届いていない とわかった。
言っているだけ。
本当に そう思っているならば もっとヘルパーさんを入れて 私から介護の負担を
取り除こうとするだろう。 それを頼むと 泣いて拒む。 自分がどれほど 人が家に入ることで
苦しいかだけを 主張する。 
母は 昔から 自分の気持ちだけが大事で 人の心の悲しみや 痛みを全く読み取れないひと。
最近知った アスペルガーのテストは100点満点 のように思う。

それでも 私しかいない・・・・そう思ってやってきたけれど 
昨日夜 母と父の電話で 吐き 涙が勝手に止まらなくなり これは限界と思った。
一昨日 自分のために 買い物にゆっくり行こうと 出かけたのに
結局 一ヶ月 同じ服を着続けている(温度がわからないのか 着替えるのを忘れているのか???)
母の服を買い 目の悪い父のために 明るい色のバッグを探し・・・・
これは おかしいと 帰リの車の中で 気がついた。

ヘルパーさんに出す献立 や もって行く料理 それらも 考え出すと 止まらなくなる。
今も そのことを書くだけで 強迫的な気分になる。

2週間 休ませて欲しいと 両親に言った。
すると 父は 待ってくれ お前にしかわからへんことや と叫ぶ。
CDプレーヤーが壊れた と言う。ああそのプレーヤーは
私が 買ってあげたもの。
マークをつけて スイッチが見えるようにしてあげて
袋や イヤホーンも合うものを何度も買いに行った・・・・でも
もう 弟に言ってくれと言って 電話を切った。 
カワイそうだけれど 私が自分を守るということも必要なこと。

今朝 教会に行った。 礼拝で 賛美していたら 
ぱあっと癒やされていく。 
今朝は起きられなくて 遅刻したけれど きてよかった。 
聖餐式! これで ダメ押しだ!
と思って帰ろうとしたら 
伝道者の人が お祈りの最後に 言われた。

「コノ中に 重荷をおうている人が居ますね 
その重荷は その方の お母さんに関わることですね。
イエス様が 私にゆだねなさいと言われています。」
ダメ押しのダメ押しだった。 イエス様ありがとう。私を知りつくしている神様
あなたにゆだねます。
できると思う自分も できなくて 申し訳ないと思う自分も要りません。
すべてをゆだねる・・・・
ほんとに すぐハマル 私ですね。

みんなが 超教派 [十字架]

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昨日は 同窓会のバザーで 出店をした。 クロスアクセサリー。 
その中の ハトのキーホルダーを買いに来られた方がいて
それを掴んで おられたので もう買われると思い 彼が 『聖霊のハト 大好きなんです」と言われ 
「それなら このメダルも差し上げましょう」と 赤いハトのメダルを渡した。 
すると 買うのは止めて ぶつぶつ何か言い出された。ベネディクト十字架を見て 「教会どこ?カトリック?」 と言われたので 「超教派です」『コノ十字架は いかん」『ああイエス様がついているから?わたしは なんだっていいんですよ」と言うと 強く「それは違う!」と 大きな声で 責められました。『イエス様から見たら
なんだって同じですよ」と 私は反論。
ああきっと ○○派だと思うと 自分から 「私は○○だから」と言われました。
以前にも ○○教会の人(仕えている人)に 聖霊の話をしたら ナニ言ってるんだ 私はは命がけでコノ仕事をしているんだ!
と怒鳴られ わけわからず (聖霊に反発?) これってなんなのと 考え込んだ。
教会が違う 教派が違う アタリマエじゃない? でもイエス様は同じに見ておられると思う。
星の数ほど コノ2000年で 教派があったと思う。 つぶれたもの 怪しいもの ・・・・・・

完全な教会は ナイ!
だから 自分のところがサイコウ 正しい 他は間違っていると叫ぶのは こっけい。
自分が自分の教会を 好きなのは幸せだろう・・・・
だけど 彼氏がいて ハッピーで 他の人の彼氏を ぼろくそに言うのは こっけい。
イエス様の人形が 偶像と言う人もいるだろう。
でも コノ姿を見て 一瞬にして 神を知る 人がいる。
また字の読めない人もいるかもしれない。 その人に
1枚の絵が 救い主を伝える事だってあるのだ。

聖霊は 教派を超えて 流れていきたいと願っておられる。

聖職者の悲しみ [癒し]

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昔 有名な神学校の学生が 牧師になる直前 自分の学校は株式会社だ。教会もそうだ 自分は もう牧師になるべきかどうかわからないと悩み やってきたことがあった。 神学校に行く 自分の一生を神に捧げると決め 選んだはずなのに 今なぜ
と思う。
神学部。。。。私の息子は お受験の時 学部のひとつに 入ったら行ってもいいなといううちのひとつで 軽い気持ちで
神学部を受けた。でも 帰宅すると カンカンに怒っている。『あんなところに 神様はおらん!」 と 私に ビラの山を投げ出した。「入り口で貰った こんなもの配ってる。 僕は通ってもいかないで」と言った。
私はどこでも入ってくれたら 行って欲しい
就職してもいいんだから という せこい親心だった。
政治的なビラ ・・・・イズムが 入っている。知性が支配している。まじりものがある。
 
そして その学生は 祈られにやってきた。 紹介した人が もうなんだか彼は危ないから と言って夜中にもかかわらず ある伝道者の青年が泊まっている所に連れてきた。 そして 祈られた。 聖霊に満たされるように。
すると 学生は 静かに横たわり しばらくたってから 半身を起こし 伝道者の方に抱きついて 号泣した。
「これだったんですね わかりました わかりました」

聖職者は 傷つく。 この世に生きている もっとも痛んだ人と関わるがゆえに 痛んだ人の傷の反応で 自分も切られる。
傍から見ていても 気の毒と思うことがある。
でも守ってくださるのは イエス様。 
そして イエス様の愛で 守られる。

私のようなオバサンでも 教会でいろいろある。 
先日 人に紹介されて 私の行っている教会にお連れした人。 
泣いて喜んでいた風だったのに 突然 批判を始めだした。
私は それで悲しいとかはあまり思わないけれど あ~どこでも喜べない人だなあと思う。
イエス様がっかり かも。
なにかずっと あら捜しをしていたから。 きっと賢い人。

信徒は勝手なものである・・・(自分も含めて。)
聖職者の悲しみって ・・・・私たちの想像以上のものだろう。
結構 勝手な信徒で傷つくのかも。 あがめられている分 孤独だし。
カトリックのお祈り本には 聖職者のための祈り と言うのがある。
一番に 祈られなくてはならない人たちだろう。
なぜなら 親亀こけたら 皆こけた だから 狙われやすい人たち。


やっぱり 神に呼ばれた人 先頭を切って 歩いていって欲しい。 
イエス様を見つめてイエス様のところへ。
そして 彼らは 私たちを導くのではなく イエス様を喜んでいて欲しい。
羊を囲い込む 柵にならないでほしいと願う。

私は祈る 聖職者の人のために。
そして かれらも 一匹の羊となって 主の前に ただ賛美の器となってあり
わたしたち 信徒とともにひとつになって  ただ一人の神
イエス様の前に 平らに ひざまづいて賛美する。
そんな沢山の群衆の姿が 世界中に 渦を巻いて存在するように
そんなイメージが 浮かびます。





ベイビーの 洗礼式 [祈り]

bokashi.JPG孫の洗礼式。 先日作った 洗礼用の服を着せて いよいよ本番。 わたし的には これさえすれば すべて完了 ということで
バアバの責任も親の責任も なんたらかんたらも 主につながり よしとなると信じてる。
理屈やこの世の律法で 自分の気持ちが振り回される時もある。ナニが正しいと みすみすわかってるのに やってしまうこともある。・・・
でも 主がおられる それだけで もう充分じゃあないの?
洗礼 この瞬間このベイビーの中で 何かが変わる。目が いつも よその赤ちゃんの目が変わるのを見てきたので
どうなるかなあ????
DSC_0125_001.jpg
ね? この目は イエス様を見る目でしょ???
顔も 目も 体も ピカピカ ピカピカ光っていました。

田舎暮らしへのあこがれ [癒し]

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郊外の 自然に恵まれた 住宅地に住みながら 
ここも 街中になってきたと感じる。 
山の手に マンションがどんどん建ち 我が家の前の700坪ほどの谷間も 
盛り土がされ その向こうにあった山の景色をさえぎって 
ちまちまと それぞれが建築家設計で 展示場のような景色が広がっている。
もう4年になるのに このごろになって
この空気がたまらなくイヤ というか 前の風景画いかに慰めだったかを知る。

田舎暮らしにあこがれて・・というより 人の多いところは疲れる・・・・
そういう感じかも
連休は 夫と 県の中央の高原を 家を探してめぐった。
せせらぎがあって 空気がきれいで 風が吹いて あぜ道を歩く・・・・
こんな 田舎や山奥では ありきたりのようなことが 都会に住むものにとっては
遠い 贅沢なことになっている。

神が作られた 私たちは やはり 神の作られた自然の中で くつろぎ 癒やされる。

別れと再会 [癒し]

ochanoko 313.jpg 先日 私の幼馴染であり また 中学生で教会に初めて行った時の日曜学校のお仲間でもあった人の 遺稿集が送られてきました。 
短歌です。最後のお世話をした方のあとがきによると 去年の春 病気で亡くなっていたことがわかりました。独身の彼女は どんどん友人を切って 最後は 数人の 世話になり 召されたようです。
彼女を 12年前 洗礼に導いたのは私。 偶然彼女の絵の個展に行き その絵のあまりのおどろおどろに・・悪魔の絵だったのです。 驚いて 牧師に絵の描かれた案内状を見せ 相談しましたら すぐに 洗礼をしないと と言われました。 独身だった彼女に 私は いい人を紹介するわ 外人系で あなたより若い人よ と言って 教会に連れて行きました。 すると彼女は なあんだと言って どうして 私が洗礼を受けたがっているって わかったの?と そういいながら 洗礼を受けました。
 
主は彼女を癒やし 導き 次々と展覧会に入賞し・・・・・しかし とことんのところで 彼女は捨てられないで掴んでいる 塊があった。それは 不倫関係であった恋人 その人はもう その十年前に死んでいたけれどどうしても 聖霊様にその塊を明け渡せないことにつらかったのか 私に 「どうしても その過去の恋愛は 捨てられない 明けわたせない」と 泣いて電話をしてきたこともあった。 よほど主に聖霊様に 迫られたのか ・・・・ 
突然 私の元から そして 教会から去っていった。 子供の時に言っていた教会に行ったといううわさも聞いていたけれど 私は 聖霊様から逃げているのは変わらないだろうと わかっていた。 
あんなに美しく 頭もよく 才能のある人が なぜ? そんな不倫 しかも死んだ人に対して 執着して 生きて生けるのだろうと不思議だった。 不幸が 彼女の アイデンティティであり かわいそうは正義になっていた お子チャマだったと 
今でも思う。 
しかしながら その歌集には   
わが罪も 悲しみも主が 誰よりも知りたることに すがりて眠る
という歌があった。
ダイジョウブ 彼女は イエス様の あわれみのうちにいる。 どんな一生であっても 主イエス様と叫ぶだけで いいんだと思う。 
彼女は私に対しては 裏切ったようなことで 私自身も 腹が立つ(正直にいうと) でも それでもいいじゃないの イエス様おられるから って。
「さよならは言いません よかったらまた会って下さい。いつか永遠の中で 小鳥のようにおしゃべリしましょう たくさんたくさん。」これが 彼女の 最後の私に対する メッセージでした。ナルシーな彼女らしい遺歌集でした。
やはり言葉には霊があります。 書いて残して。。。。不幸を書き留めるということは 良くない ほんとに良くないと
読みながら思ったことでした。

主がすべてを 備えたもう [祈り]

ochanoko 231.jpg写真は 先日手縫いで仕上げた オマゴちゃんの洗礼用の服です。
ファミリアで見て 大体どういうのを買おうかという見当までつけていましたが 急に作りたくなり 丁度他の材料を買いに 布地やさんに行くと カーテンの生地で!! ピッタリのものを見つけました。 
2日で出来上がり ヘアバンドも作って 遠くない洗礼の日を待つことに。
そして 昨日は 転居したばかりの次男の家を訪問。 
結婚して1年半になるのに 以前の家は狭いからか 研修医で とも働きなので忙しいのか 1度も呼ばれず
寂しく思っていましたが もう我慢できず 様子を見るために 押しかけのように たずねていきました。 
3LDKの官舎で 病院の前なので 当直が家でも出来る という話。
ずいぶん大学病院とは違って 勤務が楽になったと そして 
モットうれしかった話が それは この新しい勤務先の病院は 凄く不思議な出会いで
初めに申し込んだ時 モット 即戦力〔次男は3年目〕 のドクターが欲しいのでということで
断られたそうです。 でも 突然 いや それでもいいからということで お話がきて
次男も こういうのは 神様だねと言いながら 勤めることに決めました。
すると 勤めだしてから 即戦力 ベテランのドクターが 入ってこられ 
その方が クリスチャンとわかりました。 沢山赤ちゃんを取り上げて1度も死産が無いそうで
「手術の前は 必ずお祈りをする」という話。 私は 声を上げてわ~~ッ
と叫びたいくらい うれしかった。

聖路加や 淀川キリスト教病院や パルモアや ・・・いろいろ
キリスト教系の 病院がある。私は 次男に そういうところで勤めて欲しかった。
でも 彼は そういう病院には ご縁が無かった。。。。。
それなのに
クリスチャンで キリスト教病院で働いた経験のあるドクターが 上司に!
やはり 祈りは 聞いてくださっている イエス様ありがとう・・・・・

「そういう病院では お祈りしてアーメンと言ってから オペをしたり
牧師が病院にいたりするんだよ」と次男。

では聖路加のような病院を あなたが作れば?と話したら いやいや と否定的。
でも あなたは出来ないけれど 祈っていれば そういう思いがあれば 神様が
されるから・・ママは ひとつでも沢山 イエス様の 病院が欲しいわ と 
突っ込んで  喜んで 帰りました。



すべての音楽は神からの [賛美]

昨夜の感動した 音楽会の続き・・・・
友人のご主人  指揮者の顔がなんと ボーリズそっくりと気がついた。えっと驚いた。もともと 倒れる前は モット太っていたせいもあるけれど 今はすっかり痩せて 別の人になられている。 神様が 変えてしまわれたのだろう。 一度も 体のことで愚痴ったりもされず 自身 癒やしを信じているので 信じられないくらいの 平安の中にいる。これを奇跡といわずしてなんと言おう。 プログラムに書かれた彼の言葉を 転記しておこうと思う。

「右半身麻痺と 言語障害が後遺症として今は残っていますが
神様は 私の「音楽の脳」を残してくださいました。先生方 学校関係者 そして愛する子供たちのおかげで こうして皆さんとともに演奏会に関われる日が与えられました。本当に 本当に心より感謝いたします。『愛はすべてを完全に結ぶ帯である」コロサイ3-14)『音楽はすべてを完全に結ぶ愛である」
本日の みんなの音楽の『響き』によってこの会場から地球の傷んだところへ、 戦争で悲しむ人たちのところへ、病で苦しむ人のところへ」愛」が 届きますように
と 祈りながら 指揮をさせていただきます。



本当は 音楽って [賛美]

今夜 京都の学生のコンサートに行った。 その指揮を 友人のご主人がされる。
ochanoko gazou 1002.jpg去年の今日 彼は大学のオーケストラの練習中に倒れ
脳内出血で 半身不随になった。それからのリハビリの日々・・・・ そして 残された左手を使って 指揮を再び。
祈りつつ行った。 無事に そして 聞いている人に 主の愛が流れていくように。彼の 新しい時を用意してくださいと。
本番が始まり 車椅子で現れた彼は 左手で指揮を始めた。手を 動かせる範囲は限られている。
座っているから 手を振り上げても 高くないし そんなに動きは無い。言語障害もある。
しかしながら 倒れてすぐの様子を思うと 全く話せず 寝たきりだった日もあったのだから これは凄いことです。
そして ほんとうに 何ということでしょう。 学生が演奏しだしたとたん 
空気が変わります。 ほんの少ししか動かせない手を ほんとに少し動かすだけで それを彼らは受け止めている。
そして 出来てくる音楽の 流れが 普通ではない! 天国の音楽。すべての音楽は 主からのものという言葉が浮かんでくる。取られて そこに 新たに下さった 神の賜物。
どうか 彼が新たに 音楽の世界で 用いられ 音楽の真髄を 人々感じられる様に 主よすべてを 導きたまえ。

ヴォーリズは聖霊に満たされた人 [祈り]

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ヴォーリズ展に行きました。 滋賀県立近代美術館。 そして 彼の 湖畔の声 と言う小冊子を見たとたん 涙が出ました。
とても古い 物でした。 遠くの 何も無いところへ 何も持たずに やってきて 神様の御言葉を このようにして伝える そのことだけで 彼の神を愛すこころ そして 神ご自身が 彼を愛しておられるのを感じたのです。 
帰りに 「失敗者の自叙伝」を買って読み ました。 これを読んで 長い間の ヴォーリズに対する 謎が解けました。 私は彼を 天才 とか有能と思っていましたが そうではなく 神が すべて導かれたのだと 知りました。 聖霊に満たされた彼の顔 目 それは以前から知っていましたが この自伝を読むと どんなに彼が 主にゆだね 聖霊の力を受けて 動いていたかわかりました。 彼がしたことではない 。 
    
私たちには どんなことも 決して 偶然には起こらない。 私たちが 自分の意志を創造主のお導きにゆだねる時ただ 日々の仕事を正しくやること以外に何も思い煩う必要は無くなるのである。 自分で計画したり 自分で事を運んだり
する以上に すばらしい冒険を いくらでも経験することが出来るのだ。   (p318)

キリストを探すひと [賛美]

ochanoko gazou 017.jpg今日 近くのキリスト教書店に 父の聖書CDの 注文に行った。 私は 買い物のついでで 沢山冷凍食品をまとめて買ったので 急いでいた。 オーナーの方はいなくて 社員の方が接客。 CDを 選んでいると 先に来ていた 男性が
その社員の人といろいろ話をしていた。 三宮の シスターのお店の場所を聞いておられるけど もうひとつ伝わっていない。私は それは フラワーロードの西側で 予備校の横にあります と 横から口出ししてしまった。
 
すると その方は アメリカの メガチャーチの話をして 自分は気に入らないとか何とか言いながら 資料はないかといったりしていた。教会のいろいろについて コメントされるので 私は教会って神様から見たら みんな同じ 中華と 洋風の料理の違いみたいなモンです。 すると 今度は 変な教会ってある あやしいの・・・・ と言うので あっそれって どこの教会も みんな同じで変なんですよ。どこも変なんで それでいいんですよ というと 驚いた様子で 私は 語りながら 口と お腹が ぶるぶる震えてくるのを感じた。 
新しい異言?? 何かあるんだろうか??そして 彼が 本棚を眺めて本を探しているのに 私はあろうことか 本屋の中で  そんなの100読んでも イエス様はわからないですよ 一瞬でわかるから・・お祈りさせてもらっていいですか?? 言ってしまった。 口が上ずっていて発音ができない。

でも 彼は祈りを 聖霊を受け入れた。
私は いろんな人を祈ったけれど この方ほど 寒気と 震えが来たことはなかった。 
でも 主を信じておられ 又 主を探しておられるのを 祈っている間に感じた。
 
主は あなたの 内におられます。

探して探して ここにある 青い鳥のように 
一番近いところに 主はおられる。




写教 [癒し]

今日は ランチをするために 実家に行きました。私の体調我もどり 朝から母たちの夕食を作っても余裕で運転して
実家に到着。 楽しみにしていたパン屋のレストランが貸切で 予約が取れず つまらないチェーンの レストランに行った。
でも 凄く喜んで 美味しいというので ちょっぴり哀。 まあでも先々週は 舌癌の疑いで 父はぐったりなりながら検査を受けに行っていたので そのことを思うと 本日は 気分は天国。 
帰宅して 母に どうしているのと聞くと ぼやっとしている だけ と言うので 写教〔聖書を写す本を以前に買ってプレゼントした 2007-8-28)のことを話した。 聖書や御言葉を 書き写しているうちに 脳が癒やされた人のことを言って 必ず癒やされるから。。。
折れていた鉛筆を削り 半強制的に書かせる。 すると 半ページ書いたところで
 「どうしてやろう??こんなに眠いのは?」と母が 言う。 言葉に力がある 自分がその言葉の意味がわからなくても
これを書くだけで 神の力が働くのよと 説明。母それなりに納得。〔又このことも忘れるんですけどね)
しかし 母はわかりやすい人です。
父が ヨハネの・・というので なあにと聞くと どういうわけか 聖書のCD が欲しいと言う。 何年か前に 聖書のCD全巻のを 上げたでしょう?と言っても思い出せない二人。 以前の彼らにとっては それはごみにも等しいものだった。
今日も感動。 その父が財布から1万円出して 買ってきて と言うのだから。 何度も何度も病気で試された。
10年前の解離性大動脈
そして この1年でも 透析 前立腺がん 舌癌 そのたびにお祈りしては 癒やされ 信仰に 引き戻される。
もうこの 行ったり来たりから 卒業して欲しいとずっと祈ってきた。
きっと CD欲しいじゃなくて これは イエス様の衣のすそを つかみます と言う 彼なりの決断なのでしょう。


燃えた [癒し]

友人宅の 火事のお見舞いに行ってきました。
彼女は 留学生の男の子・・大学生を二人預かっていて
一人は フランス もう一人は アメリカから来ていました。

フランス人は 夜寝る時 もともと
寒いのは平気さ みたいにヒーターも使わずに 布団に包まって寝るだけなのですが
アメリカ人は 寝る時も 30度くらいに 部屋を暖めてたの。 
部屋のヒーターと 床のファンヒーターを使っていて 暑くなった彼が蹴っ飛ばした
毛布が ファンヒーターに被って 燃え出したってわけです。

意外と消えないもので 二階の一部屋全焼 二階三階は水とススで損傷 
一階は 物は助かりましたが やはり水が下りてきてます。
幸いなことに 家自体は建っているので 内装やりかえで済みそうです。

美しいお家で 私なんて 自分のうちのようにそこで お茶するのが楽しみだったのに。
彼女は教師なので トッサに生徒の一個連隊が来て残った荷物の 引越しをしてくれたそうです。
ほんと先生っていいですよね!

新聞を取っていない私は 友人の友人から連絡をもらい その時は 手が震えて
仮住まいで 顔を見るまでは 心配でしたが 会ってほっとしました。
でも 聞けなかった。 彼女のシャネルのコレクションのこと。
そしたら テーブルの上に バッグと書いた ぶ厚いファイルがあり 保険請求の
写真のファイル・・・・ あ~やはり全滅したとわかりました。
長い間かかって 楽しみに集めていたのに。。。。

すると彼女は テーブルの下から バケツ型のシャネルバッグを出して
「あのね この中に 水いっぱいまで入ってたんよ。消防署30分も水
かけてたから ・・・・  ビニールに入っていたシャネルなんて きゅうりの
お漬物みたいになってた・・・」
あ~~~もう!

でもでも
私は思った。 彼女の寝ていた二階でワンが 2匹死んでる。
彼女よく生きていたね!って ホントにそう思ったら あ~守られてるって思った。
この状態が奇跡ってことね。主よ ありがとうございます

仕事場に使っていた部屋は 無傷で残り 楽器も楽譜も助かり 即仕事再開できたこともすごい。
なんといっても 詳しい話を聞けば聞くほど
彼女と 留学生が 生きていることに感謝。 五分遅れたら・・・という世界でした。

これから沢山 元の生活に戻るまでに 山のようにすることがあります。
私たちの人の力だけでは めまいがしそうな ことです。何があるか お金がいくら掛かるか?
それで もう一人の友人とともに 三人で祈ろうということになりました。

守られたことの感謝を祈り 
ねえ イエス様にどうしてほしいか具体的に どう?
と聞くと 「前よりモット 良いようにしてください・・・・・」・・・・・
私は驚き 感動しました。 「欲」じゃなくて これはイエス様を信頼していないと言えません。
普通は 元のようにしてください だもの。
ホントに感動しました! すごいひとだなあって。
この最悪の出来事の中に 神がいるって 感じているんだ。

そう 絶対 良いように 新しくされる! 
楽しみです。


2008-02-10 [祈り]


主に感謝!  というメールと共に 昨日の早朝 息子から孫の誕生の知らせがありました。 三週間くらい前に もうベイビーの
体重が推定 3600というような話だったので とても心配していました。会う人事にお祈りを頼み 教会にもリクエストを出して
お祈りしてもらったタオルを お嫁ちゃんに送りました。 彼女は最後までそのタオルを握っていたそうです!うれしいわ!
生まれたベイビーの体重は 3500だったそうで 何で減るの??と思いましたが やはりイエス様が働いてくださった!としか思えません。 生まれた瞬間の顔は 夫にそっくりで 驚いたと息子が言います。 いのちの伝達ですね。 この子が幸せに生きて生けるよう 私たちも祈りそして 主が望まれていることを探して行こうと思います。


みんな待っている [賛美]


このごろ とみに イエス様と出会う人が 周りに 集められています。
今日も ランチを 近所の串かつ屋さんで 相方のチェロ弾きと食べ
お金を払おうとしたら おやじさんが 私のつけているクリスタルの
十字架ペンダントを見て
「それはなんですか?」と聞かれたので
「あ~私たち クリスチャンなので 自慢してぶら下げてるのよ~」と言って
帰ろうとしたら 
「名前ってあるんでしょう?なんですか?」って しつこく聞くので
「ナタリーと モーりーよ。漫才みたいでしょう?」というと
「いや いい名前ですね」って 十字架見てるの。そして 
又 もう一度言われるのです。それで
「私はフルート 彼女はチェロ引きで 教会で演奏しています。12月には
会堂が建つので 響きのいい場所で 聞けますよ」というと
「是非呼んでください」と 奥さんが出てきて
「娘がフルート吹いています 大阪音大です~~」だって。
何度も 呼んでくださいね と言われるのです。
不思議でしょう??お客さんへのお愛想ではないと思う。

私は みんな「待っている」のではないかしらと思うことがあります。
こういう時代だからこそ  求める。
本当の 愛が欲しい。
その響きの中に居たい。


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